この日本列島を大渦巻きが通過中。
たまに、ビュ~と大きな風音がしていた。
今回は沖縄の人たちもこれはやばいと話されていたと。
今や1時間約100ミリの猛烈な雨とか当たり前のような自然の勢いだもの。
これからのこの大地の生き物たちはみな気が気でないね。
こんな災害の時は店での食料品も減っている。
みな今晩は高潮と風に要注意、気が気でない一晩。
「生きるのが怖い」とまで思った――難病と向き合う脚本家・北川悦吏子の苦しみと支え
「半分、青い。」を始め、「ロングバケーション」「ビューティフルライフ」「オレンジデイズ」などのドラマで知られる北川悦吏子さん。自身も難病を抱えながらドラマの脚本を書いてきた。
一時期は「生きるのが怖い」とまで思ったという北川さんに、病気との向き合い方について聞いた。
「私は、生き物として弱くなった」
9歳になった秋 私は左耳の聴力をなくした
私の世界は、半分になった
私は、生き物として弱くなった。
消灯時間を過ぎた病室。脚本家・北川悦吏子さんは一人パソコンに向かっている。
看護師は病室をのぞくと、慣れた様子で「北川さん、そろそろお休みしてくださいね」と声を掛けて去っていく。
9歳でムンプス難聴により左耳の聴覚を失う。
「傘を差したときに、雨の音を聞いて、左側だけ雨が降らないなと思って。
そのときになぜか分からないけれど『半分、青い。』というタイトルが浮かびました。
とてもかっこいいと思った。ドラマはそこからのスタートでした」
北川さんの左耳が聴こえなくなったのは2012年11月だった。
突発性難聴を疑い、病院で受診。失聴の原因は聴神経腫瘍だった。
良性の脳腫瘍である。北川さんはガンマナイフ(開頭手術をせずに病巣を取り除く放射線治療)による治療を受けた。
聴力が温存されるケースもあるが、北川さんの左耳は聴こえるようにはならなかった。
「何で私が?」と不条理を噛みしめた。一方でこうも思った。
「何かを失い、やがて乗り越える感覚は、きちんと残しておこう」
1999年秋、北川さんは強い痛みを訴えて入院。人間ドックで潰瘍性大腸炎が見つかった。国が指定する難病だ。
薬物治療がいっこうに効かず、2010年には別の病院で大腸の全摘手術を受けた。
ところが術後に縫合不全をおこし、痛みが止まらなかった。
我を忘れて叫び声を上げるほどの痛みに襲われた。
北川さんはその苦しみをこう表現する。
「ピークのときは子どもを産むときの痛みと一緒。
もう壁を蹴るしかない、みたいな感じです」
数年後、今度は縫合した部位に炎症が現れた。
さらに術後の合併症で腸閉塞を起こしたり、腸と腸をつなぐところに穴が開いたりといったトラブルに見舞われ、入退院を繰り返した。
「4年に1回ぐらいは『私、死ぬかも』と思うような痛みや苦痛に襲われることがあって。
2012年に大量出血を起こして気を失い、救急車で運ばれたときは、「かかりつけの慶應大学病院まで運んでいたら間に合わない」という救急隊員の言葉を聞いた。
「あのころの感覚で言うと『生きるのが怖い』でしたね。
もうこれ以上はゴメンだと。
『この先自分はどんな怖い目に遭うの?』と」
「病気になると、とても人を必要とする。
『私を助けて』と言わないと生きていけないですから。
そこにバリアはないというか、プライドもない。
切実な発信をして、助けてくれた人たちがいる。
そういう私のリアルな友人関係を基盤にしてドラマも描いていると思うことがあって。
私を助けてくれた人たちに私が何かを差し出すとしたら、たぶん、私がいい脚本を書いて頑張ることだろうと。
今、NHKの連続テレビ小説「半分、青い。」の脚本家
この方も難病で長く苦しまれていたと知った。
「9歳になった秋 私は左耳の聴力をなくした
私の世界は、半分になった
私は、生き物として弱くなった。」
この言葉を聞いて悲しくなるよね。わずか9歳で。
この大地に奇跡的に生まれ、おんぎゃ~ おんぎゃ~と自身の我を精一杯出してみたもののこの世は自身の思いのままにはならないことを悟った幼少期。
どんなに泣いて叫んでも自身が自身の力で歩みでなければ何も成長 解決できない事を知った。
その為、みなこの大地の生き物は必死に生きる運命を知る。
なのに、難病とか生きにくい方も多くおられるのも現実社会。
生まれて障害をもった方も多くおられる。
それでも多くがみな今を懸命に生きている。
全ての生き物が弱くも強くも生かされ数十年おのおのの自身生涯を夢を抱きながら今を生きている。
自身の価値観で歩いている。
どんなに辛くても嫌でも途中下車しないように歩く。
なぜ?
特に人は、いつかこの身が無くなることは分かっているのに、死ぬこと、消えることは怖いはずなのに、今を笑い楽しくも生きている。
なぜ?
それがこの大地に生まれし生命をもった個体の宿命だからか。
先の事は想像するけれど今を過去を想い自身らしさを求めながら弱くても いっぽ 一歩 生きる、人。
自身のことよりも大切な人を想いながら生きて行く、人。
弱くも脆くも愚かでも
尊い感情のある生き物だから、人は。