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死んだ母に「ばかやろー、片耳返せ!」と叫んだ少女、壮絶な虐待からの生還

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涼しい静かな朝。

 

歩く人もまばらで、車も少ない 朝の風景。

 

ふ~っと息を出し交差点からペダル蹴りだす。

 

いつものように祭日は耐えの業をおこなう1日。

 

もう、9月24日、年末まであと98日、早いね。

 

今年もある意味、思いで残してきた、生きているというのは日々いろんなことが起きるね、でも不思議となんとかなるものだ。

 

記事には、

 

死んだ母に「ばかやろー、片耳返せ!」と叫んだ少女、壮絶な虐待からの生還

 

「母親が死んだとき、『ばかやろー片耳返せ! 返せ!』って、亡くなった母親の耳を掴みながら、泣き叫びました」――。こう話すのは、母親からの虐待で左耳の聴覚を完全に失ってしまった美咲さん(仮名・23歳)。いわゆる「虐待サバイバー」だ。取材の際、美咲さんは虐待を受けた日々を思い出し、溢れ出す涙をぬぐった。しかし、いくら拭ってもその涙は止まることはなかった。

 

厚生労働省によると、2015年度中に全国の児童相談所が児童虐待相談として対応した件数は初の10万件を突破。これまでで過去最多の件数を記録した。

 

生まれは東京・六本木。母親は専業主婦だったが、美咲さんが5歳の時、父親の多額の借金をきっかけに、離婚。その後、父親とは現在まで音信不通となっている。残された美咲さん親子は生活保護を受けるようになった。しかし、その金の大半は、母親の酒代に消えていった。

 

美咲さんによると、母親の虐待は、2~3歳くらいのときから始まっていたという。いつもそれは何の前触れもなく起こった。いきなり灰皿を美咲さんの頭に投げ付けたり、食べ物をこぼしたりする。気に食わないことがあると、母親は美咲さんの髪の毛を掴んで、部屋中を引きずり回した。顔面を殴るのは日常茶飯事だった。布団たたきで、体中叩かれて、全身が網目模様になったこともある。

 

灰皿を投げられて大ケガした後頭部には、今もパックリと開いた傷が残っていて、そこだけデコボコになっているのだという。その時は病院に連れていかれたが、原因を聞こうとする医師に、「階段から転げ落ちた」と事もなげに嘘をついた母の姿を、今も忘れることができない。

 

「頭はコブだらけでした。それがまるで月面のクレーターみたいなんですよ。どこを触っても、ジャガイモのようにでこぼこ。小さい頃はよく『今日は、いち、に、さん、し、ご、ろく、七個増えた』って数えていましたね」
激痛のあまり、枕も使えず、ごろりと布団に横たわるようにして寝るのが日常だった。

左耳がダメージを受けたのは、殴打などによるものではなかった。幼稚園に入ったばかりの頃だった。コップの水をこぼした美咲さんを、母親は鬼のような形相で風呂場まで連れていき、シャワーヘッドから噴射する水を左耳に押し当てたのだ。
「耳いたいよー! お母さん、耳いたいよー!」

そのせいで鼓膜が破れ、左耳の聴覚を完全に失ったという。難聴の中でも最も悪い「重度難聴」だ。

 

けれども、美咲さんにとって一番辛かった経験は、顔中を殴られることでも、左耳の聴覚を失うことでもなかった。
真夏のクローゼットーー。そこは灼熱の地獄だった。
母親は気が済むまで暴力を振うと、いつも決まって最後は部屋のクローゼットに美咲さんを閉じ込めた。6歳の子どもの力では開けることはできなかった。

「とにかく中が熱くて、熱くて、飲み物もないし、トイレも行けない。お腹も空く。そのうち気持ち悪くなって、吐いちゃうんですよ。暑さで脱水症状に見舞われてゲーゲー。おしっこも漏らしっぱなし。クローゼットの中は、ひどい状態になってましたね」

 

「子どもは、虐待されていても、言葉が見つからないんです。子どものときって、悲しいとか、痛いとか、語彙が乏しいから言葉で伝えらないというのもあるんです。だから、大人の人の気付きが重要なんです。

私は周囲の大人の人たちに助けて欲しかった。体中あざだらけだったし、着替えは幼稚園の先生に手伝っていてもらっていたから、知っていたはず。でも、何もしてくれなかった」
母親は、美咲さんを虐待した後、毎回、必ず我に返ったかのように美咲さんを抱きしめ、そして泣き出した。

「毎回泣きながら『ごめんね、こんな親でごめん』と謝るんです。子ども心にはそれを信じたい。怖いけど、許しちゃう、どんなことされてもお母さんだから、信じたい。どんなにヒドイことされても、頑張ろうって」
自分にとって、たった1人の母親――。美咲さんは、どんなに酷い暴力を振るわれても母親を憎むことができなかった。

 

 

その後も、虐待を繰り返していた母親は、アルコール依存症を患い、肝臓の病気が元で美咲さんが中2のときに亡くなった。

連日のように暴力を振るった母親だったが、目の前で冷たくなった姿を見ると、悲しくて涙が止まらなかったという。しかし、それでも冒頭のように叫んだのだ。

「『ばかやろー片耳返せ! 返せ!』って、亡くなった母親の耳を掴みながら、泣き叫びました」
美咲さんは、虐待の日々を振り返って、どう感じるのだろうか。
「あれだけの虐待を受けて、よく今まで生きてたなあって思いますね。改めて振り返ってみると、お母さんは弱い人だったと思うんです。

そして、それを受け入れられずに、私を虐待していた。でも、いくら自分が弱いからと言って、抵抗できない子どもに手を出すのは絶対にしてはいけないこと。私はそんな自分の弱さも受け入れられる人間になりたいと思っています」

美咲さんは力強くまっすぐに見つめてそう答えた。

 

本当に言葉では表せられないほどの苦しみを受けた彼女。

 

こうなる前に周囲も多少は気づいていたはず、でも誰も入れなかったこの親子の中には。

 

母親は完全なアルコール依存による精神病だったはずなのに不幸な環境のままこの子は10年以上耐え育った。

 

こんな不幸な人の世はなかったろうと思うよ。

 

数えきれないほど命の危険も多々あったろう、よく生き延びてくれたと。

 

彼女のこれからの人生、トラウマも直ぐには消えないだろう。

 

でもね、愛情もあったはず、母親の病気でない部分では。

 

それがせめてもの救い、母親はあなたを苦しめたれど、その反面あなたを愛した、自分の行いを我に返った時は悔やんだはず、あなたがいたからここまで生きられたはず。

あなたが母親を救った。

 

でも、誰かが早くにこの親子を救うべきだったね。

 

この社会は理想とは違いなかなか救ってはくれないもんね。

 

とことん酷い状態になって死亡したりしなければ取り合ってくれないのも現実、冷たいよね人の世は、他人には冷たい。

 

幼稚園でも学校でも警察でもみな彼女の苦しい時代に接したのに誰も手を差しのべてはくれなかった。

 

彼女は必死な瞳で、こころで訴えていたのに。

 

この大地に生まれる時、子は自ら親を見つけて生まれるともいう。

 

この母親と共にこの大地で生きたいと。

 

彼女の未来で自身の子には生きる意味を伝えてほしいと思う。

 

自分がどうだったかではなく、この大地で生きていく本当のすばらしさという意味を。

 

何を感じ 何を求めて 何の為に生きるのか? 自身のためだけじゃないこの世での出逢いの中での暖かい想いとは?。

 

辛くて 辛くて 泣いて 泣いて 泣き崩れても

 

その見つけた大切な想いの中で自身のらしさを見つける旅。

 

大空 夜空 見上げて

 

短く 長い 辛くとも 今を想い 感じる旅。