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酸攻撃に遭い地獄を見た女性「誰にも醜いとは言わせない」

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休みの朝はすがすがしい、頬に当たる空気も心地よい。

 

給料前だけれどまだお札は何枚か財布の中に待機している。

 

スーパーは朝から大賑わいだ、多いレジにも すごい行列。

 

やっぱり安くて内税だからからしょうがない。

 

お米を一袋抱えて並ぶけれど自分の番が来るまでに10分もかかった。

 

でも何よりお米は安いね、だって5kgでも1700円ほど。

 

新米なのに作る人は安か労、大変だろうと思うよ。

 

菓子パンとかいくつも買えば1ヵ月では結構な値段になるのに。

 

買って分かるお米のありがたさかと。

記事には、

酸攻撃に遭い地獄を見た女性「誰にも醜いとは言わせない」

 

酸攻撃で負傷した外見を「ひどく醜い姿」と新聞に書かれたことで、彼女は従来の美しさの基準を塗り替える大胆な行動に出た。「大声で助けを呼びながら、シャワーで全身を洗った」

 

ケイティ・ジー(23)は、人生を永遠に変えてしまった5年前の酸攻撃のことを語った。

「あの場を生き残るには、5秒先のことを考えるので精一杯だった」

 

ロンドン出身で当時18歳だったジーが、大学入学前に友人と一緒にアフリカのタンザニア沖の島ザンジバルに行き、子供たちに英語と算数を教えていた時だった。

 

ある夜の宿への帰り道、スクーターに乗った男2人が突然2人の顔面に液体を浴びせて走り去った。

 

「恐怖のあまり混乱した。同時に、やるべきことを合理的に考えていた。浴室に向かってあんな必死で走ったことはない。硫酸をかけられて私が最初にやったのは、スクーターのナンバープレートを見ることだった」

 

地獄のような苦痛はそれだけで終わらなかった。全身に硫酸を浴び、着ていた服はボロボロだ。病院では、硫酸を洗い落とすのに使う塩水を切らしていた。清潔な水を求めて駆け込んだホテルにも、入室を拒否された。結局、プールで5時間シャワーを浴び続けた。

 

彼女はその後、ロンドンの病院に2カ月入院し、60回超の手術を受け、セラピーに通った。友人全員が大学に進学したが、彼女は顔と全身に負った傷の治療をしなければならなかった。事件の恐ろしい記憶が、常に脳裏に付きまとった。

 

事件から5年経ち、ジーの境遇は大きく変わった。大学を卒業し、大学院への進学も決まった。自信に満ち、リラックスして見える彼女の目下の悩みは、どこにでもいる23歳の女の子と同じだ。「私の髪、ベタついてませんか?」──インタビューでカメラを回し始めたときも、そんなことを気にしていた。

 

事件後、実はジーはもう一つ、忘れられない衝撃に襲われた。

 

「ひどく醜い姿」──英デイリーメール紙がジーの悲劇を報じる見出しに使った言葉だ。ジーは、この言葉に奮い立った。メディアがもつ旧態依然とした美しさの基準を変えなければ、と思ったのだ。

 

「そんな言葉を目にするのが当たり前になっている。それが他人にどんな影響を及ぼすか、誰も考えようとしない」と、ジーは言う。

 

「体や顔が変形した人に対するメディアの扱いは間違っている。外見の捉え方を正常に戻す必要がある。外見で人を批判するのはやめなければならない」

 

そこで彼女は、過激な行動に出た。インスタグラムで、「世間的には美しいとは言えない自分の画像を投稿してくださいと呼び掛けた」のだ。ハッシュタグは、「#settingthestandard(新しい基準を作ろう)」だ。

想像した以上に多くの投稿が集まった。「丸2日間はインスタ漬けだった」と、彼女は振り返る。世界中から投稿がきた。皆が、ジーのハッシュタグとともに自分が最も隠したかった写真を投稿してくれた。

「オーストラリアとか、地球の反対側からもメッセージをもらえるなんて、本当に素敵。でもいちばん素敵なのは、私のしたことが他の人の助けにもなったこと」と、彼女は言う。

 

恐ろしい経験の後で、なぜ自信を回復できたのか。「時間のおかげ」と、ジーは言う。「自分の気持ちを正直に話せる家族や友人がそばにいてくれた」と。

 

本当に許せないね、こころない輩達のおかげで苦しんで。

 

彼女がここまで立ち上がるには並たいていの努力ではすまなかったろうと思う。

 

わずか1.6mmの皮膚で覆われている人間。

 

それがダメージを受ければ特に女性にとってはこころの破壊と同じことなのに。

 

彼女は勇気を出して自らを出し世の人々のここをを打った。

 

凄いね、時間と家族が回復させてくれたと話すけれど、彼女のいっぱいいっぱいのこれまでの真剣な前向きな刻が救ったのだと思う。

 

人には、どうしようもない挫折と壁にぶつかって、泣き崩れそのまま倒れる人と、なんとか乗り越えられる人がいる。

 

乗り越えられる人は、自分のことだけでなく人を想える人だと感じる。

 

想う力が自身をも癒し強くしまた刻が真剣に考える間を与えてくれるはずだから。

 

内のこころに

 

立ち上がれと、負けるなと。

 

だって、与えられた最後の空間までの数十年。

 

諦めず 一歩 一歩

 

途中下車せずに

 

自身の足で歩いていくしかないもんね。

 

それがこの大地の宿命なのだから。