お釈迦様は人間は一人で生まれてきて、一人で死んでいくとおっしゃいました。
最初から人間は孤独だと思っていれば、たとえひとちぼっちになったとしても、うろたえることはありません。
ほんとにそうだよね~。
人間はやっぱりある日一人でこの大地に生まれてくるのだから。
我をいっぱい持った子は泣きわめいて自身の意を通す。
だけど
どんなに泣きわめいてもこの世は自身の意のままになることは少ないことを肌身で知ることになる。
だから泣きわめかず
親との対面を果たし早い子だと1年も経たずに歩き出す。
そして
知識を得ながら同じ子と共に感情出しながら成長していく。
でも
いつもこころは一人のままで弱気を外に見せないように生きる。
自身は幸せだと裏腹なこころ。
これが苦しいんだよね。
でも
知られたくない弱気なこころ。親にでも。
負けたくないちっぽけな自身を大きく見せる。
そうやって大人になり社会に出て世の無情を知りなおさら孤独化する。
知人には強いようなこころ見せて生きていく。
どんなに寂しく辛くとも笑顔で。
こんな時
絶望して
心折れてこの大地から消えてしまう人間も出てくる。
でも
ある時
強くなくていいこころでも楽しく生きていけることを知り受け入れる人間も出てくる。
ままに ままに 生きることが 自然なことを。
外の自然の 大空 大地 山 海 川 ・・・と自然の偉大さを知った喜び。
ちっぽけな自身がこの大地で生きている意味を肌で感じる。
生きて喜怒哀楽が無くなった人間などいない。
強いこころだけの人間などこの世にはいない。
だから強がろうとすればするほどもがいて自身をなくし苦しむ。
でも
人間は
人を想うこころがある。
この想いは熱くまっすぐ強いもの。
やがて
出逢いの中で家族を持ち想いの中で生きれる人間はこの世の無情にも吐き出し諦めがつき歩く。
じっと孤独で生きる人間は早く
ままに ままに 生きる様を 自然を受け入れなければ
外に強がりばかりの辛い弱い内のこころで最後まで苦しむ。
でも
うろたえることはありません。
最後の空間は
みな人間は一人で旅立つのだから。
最後の空間は
その時にすべてが分かる
自身のこの世での生きた意味を。
らしくままに自然に生きれたかを。
たった数十年の息道は長いようで短いもの。