今のままでいいのですか?と危機を煽るような本も目立つ。

暑さも影を潜め冷たい食べ物より暖かい食べ物を選ぶ。

もうおでんとか美味しんじゃないかと夕食はおでんにする。

 

昼間も七味いっぱいのうどんとか食したけれどもう秋なのかな。

気象庁は9月後半までは暑いと報道。

でもこの夏の季節が少し寂しく残念に思う外の体感温度の低さに。

 

ビールが本当に美味しい季節は夏の汗したたる異常な暑さなのだから。

でも季節は自然はままに ままに 移りいこうとしている。

休みの日は意のままに生きれて心地よいけどもう少し夏を感じたい。




「自己啓発本なんか読んでもムダ」は本当か?

いまの仕事楽しい?……ビジネスだけで成功しても不満が残る。自己啓発を延々と学ぶだけでは現実が変わらない。

「自己啓発書は役に立たない」「無意味だ」という話があります。単にそうした話を聞いただけでなく、実際に「何冊読んでも何も変わらなかった」という経験をした人もいると思いますが、そもそも「自己啓発書が役に立った」と言えるのは、どういう状態なのでしょうか。

「自己啓発書の著者と同じ状態になる」といのはいくらなんでも高望みです。松下幸之助の本を読んだからといって、それだけで松下幸之助のようになれるわけがありません。これは自己啓発書に限らず、書籍一般に言えることです。

料理本を読んで、その本の著者と全く同じ料理が作れるようになるのか。ダイエット本を読んで、その本の著者と全く同じ体型になれるのか。一冊の本に誰もそこまで求めているわけではないでしょう。にもかかわらず自己啓発書にだけ、それを求めるというのはアンフェアです。書籍というのはあくまでもヒントにすぎません。

自己啓発のテーマはその名の通り、「自分に気づくこと」です。そして自己啓発書を役立てるとは、「他人が自分に気づいた過程を、自分が自分に気づくためのヒントにするということ」です。そのためには、「著者に対する共感」が必要になります。

著者が苦境や逆境に立たされた時に、感じたこと、思ったこと、考えたこと。そういった実際の行動や取り組み以前の、心の段階に寄り添うことで自分に浮かんでくる感情こそ、自己啓発として汲み取れる学びです。

「どうすればうまくいくのか」という理屈を求めて読むと、共感や心情といった人間的な部分がないがしろになります。「著者の自分語りがウザい」という意見はその象徴ですが、自己啓発書には著者の自分語りに耳を傾けることで、読者に自分に気づかせる仕組みがあるのです。

もしあなたが「こうすればうまくいく」という理屈を求めて、いくら自己啓発書を読んでも何も変わらないことに疲れたら、今度は誰にでも当てはまる理屈ではなく、著者の体験談とその時の心情に注目して読んでみてください。

人間は心構えが変われば、全く違ったものが見えてきます。きっと今まで気づかなかった発見があり、その先で「役に立った」という実感が得られると思います。と。

 

最近はあまり本屋も少なくなり立ち寄ることもなくなったけどたまに本屋で見かける風景は新書のコーナーの表紙インパクトに吸い込まれている人々の風景。

 

今のままでいいのですか?と危機を煽るような本も目立つ。

手に取り読んでも理屈で読んでいるのだからこころには残らない。

 

この生き物は楽しい嫌だとかまず感情のままに動くのだからそういう実体験できる共感できるものがなければ立派な心の在り方考え方とか書いてあっても響かないもんね。自身の内には。

 

小さい時はよく伝記の本で感動したけど理想とかロボット的な心境とかにはなかなかなれない。

それより街中で電車とかに乗っていると人間風景の方が面白い。

細かくは分からないけどもその人のしぐさとか品格とかでなぜかこころはよく見えるもんね。

小さいころからはぐくんできたこころ形は。

 

腰の曲がったおばあちゃんが入ってきて直ぐに席を譲ろうとするお姉さんや若者には新鮮さがみえる。

スマホだけ目をやり知らぬふり自身のことばかりの多くの人に日々の生きているありがたさは感じれないんだろうな。

自身も周り見て教訓とする。

 

この社会 喜怒哀楽は自身の内のものだけれどみな一人では生きていけないのも事実。

ある意味 耐え貢献しながら 助けてもらう仕組みの息道だもの。

食べ物一つでも誰かの支えがなければお金というチケットがいくらあっても買えないのだから。

 

さて、らしく 楽しく 支えあってかと。




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